あきらめないで!


 工藤むつみはボディソープの泡をざっとシャワーで洗い流すと、ちゃぷん、と湯舟に入った。ゆっくりとカラダが温かくなっていくのが分かる。
 お湯につかりながら、自分の胸元を見た。――確かに淡く、ふくらんでいる。
(おんぷちゃんは、私がオンナノコだから、って言ってくれたけど――)
 最近、オトコノコたちがプロレスの相手をしてくれない理由が、改めて分かった今日だった。おんぷに胸を触れられ、初めて気付いた事実。
(長谷部くんとも、もうプロレス、出来ないのかな――)
 今までは気楽に出来たのに、もう相手をしてくれる人が誰もいない。むつみにとっては、とても寂しいことだった。
(私がオンナノコだから)
 それが、何とも言えずに悔しかった。
 少しためらって、自分でも胸元を両手で触ってみた。ふんわりとした感触。
(私がオンナノコだから――)
 かすかなココロの痛みを抱いて、むつみはお風呂からあがった。

 自室で、明日の授業に使う教科書を準備していると、だんだん悲しくなって来た。
(ずっと前から、長谷部くんとはプロレスが出来たのにな――)
 ランドセルに、教科書を入れようとしていた手が止まる。
(憧れのキャンディ伊藤も引退しちゃうし)
 幼い頃から、TVのプロレス中継は、兄とチャンネル争いをしながら、欠かさず見ていたから。引退宣言は何よりも寂しい。
(兄ィも、勉強に忙しいみたいだし)
 そして、夕刻来てくれた長谷部のことばを思い返す。
(プロレス、楽しかったんだろ?)
 そう。楽しかった。好きだった。
 プロレスが、好き。
 処分するつもりでダンボール箱に詰めた、プロレス関連のアイテムたちが、泣いているように思えて来た。ココロがちくちくと痛む。
(もう、寝ちゃおう)
 手早く教科書をランドセルに入れると、むつみは布団に潜り込んだ。

 翌朝――。
 パジャマから着替えようとしていると、コンコンとドアがノックされた。
「むつみ、ちょっといい?」
 母の声だった。むつみはドアを開ける。
「何?」
「昨日、お風呂に置いておくの忘れちゃったんだけど、今日からこれ、着て行きなさい」
 手渡されたのは、胸の部分に小さなカップが付いている、キャミソールだった。
「え?」
「ほら、むつみもそろそろ胸が目立つようになってきたでしょ? 通販で何着か買ってあるから」
「だって――」
「今までの下着は、学校が終わったら整理しておきなさい。全部取り替えちゃうからね」
 むつみはためらった。これを着たら、自分が本当に成長しつつあるオンナノコだと、オトコノコたちとプロレスが出来ないオンナノコだと、認めてしまうように思えたからだ。
 そうではあれ――。
「――うん」
 一抹の寂しさと共に、むつみは素直にうなずいた。
「あ、そうそう」
 むつみに下着を手渡した母は、ぽん、と手を打った。
「今日の新聞広告に、おもしろいのが入ってたわよ」
「広告?」
「早く着替えて、いらっしゃい」
 初めてカップ付きのキャミソールを着る時に少々違和感があったが、何とか着替えてキッチンに行くと、むつみの席に一枚の紙が置かれていた。手にしてみる。すると、見る見るうちに笑顔が広がってきた。
「これ――!」
「通ってもいいわよ。わりと家から近いし、月謝もそこそこだからね」
「うん! ありがとう!」
 手にしたのは、ジュニアプロレスジムの広告だった。
(ここでなら、思う存分プロレスの練習が出来るんだ――!)
 食卓に着くと、長谷部の顔とことばが浮かんで来る。
(プロレス、楽しかったんだろ?)
(うん! 楽しくて、大好き!)
 朝食を終えたむつみは、広告を手にして元気良く家を出た。
(早く、長谷部くんに伝えなきゃ!)
 

MAR.9,2006