四つの疑問

 

 カレン女学院、生徒会室。

 教室の半分ほどの広さ。使い古された年代物の大きな机が生徒会室の奥のスペースに陣取りそこからコの字型に2つ、奥にある机と同様の年代物だが少し幅の狭い机が並んでいる。

 奥にある方の机…生徒会長の席には大きな背もたれに身を委ね、黄昏時のオレンジ色の光を背中に浴びて冴えない顔で溜息ばかりつく少女と、他の二つの机ではそれとは対照的にテキパキと仕事をこなす二人の少女の姿が見える。

 

 

 「ああ、ワタクシが生徒会会長として君臨していた栄光の時が…終わろうとしていますわ。ハァァ…」

 ワタクシ玉木麗香は、カレン女学院を代表する生徒会長。全生徒の期待と会長である責任を背負って、ある時は優しい微笑で、ある時は激しく感情をぶつけ合い、そして時には涙も流し、生徒の為、学校の為、今まで2人の戦友と共に戦ってきましたわ。

 「玉木会長の時代も、泡沫の時となって消えるのね。」

 藤原はづきさん。生徒会書記という事で、雑用などをこなしてもらう予定でしたけど、バイオリンの方が忙しく生徒会活動を抜ける日もしばしばある。

 でも、責任感が強くて忙しいながらもキッチリとワタクシのサポートをしてくださる頼りがいのある人ですわ。

 「泡沫の時だなんて、どういう意味ですの!?」

 時々、変なツッコミをいれるのが難点といえば難点ですわね。

 「あ、で、でもね玉木さん、そのうちいい思い出になるから大丈夫よ。」

 白々しく言葉を付け加える藤原さん。私を励ましているつもりなのかしら?

 「藤原さん、それ、フォローになっていないわ。」

 生徒会副会長の伊集院さちこさん。常に笑顔を忘れず影に日向にワタクシを支え、彼女なしではここまでやってこられませんでした。

 「会長!笑顔、笑顔よ!まだ私達の生徒会は一週間もあるのよ!諦めないで!」

 そう、こんな風に、いつもワタクシの事を勇気付けてくれる。

 「でも、残り一週間。今更何を…」

 だけど、私達の生徒会は泣いても笑っても後一週間で終わってしまう。今度ばかりは、どうにもなりませんわ。

 ワタクシは更に落ち込んでしまい、机に突っ伏した状態になり再び溜息をついた。

 「玉木さん…」

 藤原さんの、心配そうに私の事を見ているような視線を感じる。

 「会長、またやればいいじゃない!高等部でも、私達の生徒会を再開させましょう!」

 伊集院さん…あなたらしい前向きな励まし方ですわ。

 「そうよ玉木さん。私達の生徒会は、これで終わったわけではないわ!まだ一週間も時間があるのに、こんな事では悔いが残ってしまうわ。」

 「悔い?ワタクシに悔いなどないですわ…。」

 そう、この1年間、あなた達と共に完全燃焼しましたわ。あとは、普通の生徒に戻って卒業までの余生を、ただただ流されるように過ごすだけ…やり残した事など…

 あ…あった!

 まだやり残した事が、ありますわ!!

 ワタクシ、入学以来ずっと疑問に思っていた事が4つありましたわ!今こそ、残り僅かな時間だけど、この疑問をスッキリさせなくてはなりませんわ!

 「藤原さん!ワタクシ、やり残した事がありましたわ!!」

 突然起き上がり、机をバン!と叩いて勢いよく立ち上がった。

 そんなワタクシを、二人は目を丸くして見ている。

 「二人とも、これを見て。」

 生徒手帳に載っている校則で、前々から疑問に思っていた部分をメモ用紙二枚に書き写して二人に配った。

 「股火鉢は禁止?」

 藤原さんが眼鏡を弄りながら、首を傾げている。

 「耕運機の運転を禁止する。農薬を混ぜて遊んではいけない。即…」

 「ストーップ!!」

 伊集院さんが最後に書いた事を口にする前に、彼女を制止した。最後の、これだけは、他の3つよりも疑問ですわ!

 「あの、玉木さん、コレって校則の一部よね?」

 藤原さんは私の書いたメモを手に取り、不思議そうな顔をしている。

 「ええ、そうですわ。藤原さん、何か疑問に思わないかしら?」

 「私は、特に…伊集院さんはどう?」

 「即…」

 「ストーップ!!それは最後に考えましょう。」

 伊集院さん、私と同じでアレが一番の疑問なのかしら。でも、それは最後に考えたい。

 「それじゃあ…股火鉢って、何かしら?」

 

【股火鉢】
股火鉢とは火鉢にまたがるようにしてあたる事。

 

 「ふうん、火鉢にまたがって温まる事なのね。でも、今時火鉢なんて使っている人、いるのかしら?」

 メモ用紙をじっと見つめて、伊集院さんは考え込んでいる。

 「古風な暖房器具といえば、ワタクシの家には暖炉ぐらいしか、ありませんわ。火鉢をまたぐのは想像してもわかる通り、お行儀の悪い行為だと思いますわ。でも、それをワザワザ校則にするなんて変じゃありませんこと?」

 それだったら「お行儀の悪い行為全てを禁止する」というような校則になると思う。これはこれで、問題になると思いますけど…

 「あれは、駄目よ!!」

 突然、藤原さんがヒステリックに叫びだし、机をバン!と叩いて勢いよく立ち上がった。

 ワタクシと伊集院さんは、目を丸くして彼女の事を見ている。

 「ど、どうしたんですの?藤原さん、暖炉が駄目なの?」

 「違うわっ!火鉢、股火鉢よ!!」

 「校則に書かれるくらいだから、股火鉢は駄目な事…ひょっとして、危険な行為なの?」

 伊集院さんが考え込んで出した答え…危険行為。

 確かに、火を使うから火災の心配とかは考えられるんだけど、他にも焚き火とか石油ストーブとかワタクシの家の暖炉とか、暖房器具や暖を取る方法は火災の危険性が潜んでいる。

 何故、火鉢だけ校則に出てくるのかしら?

 「そうよ!危険よ!股火鉢は怖いのよ!!」

 そう力説する藤原さんは、まさか…。

 「藤原さん、火鉢に跨った事がある?」

 「ギクッ!!」

 顔を真っ赤にして、眼鏡をギラギラ光らせて、目にも止まらぬスピードで首をブンブン振って慌てふためく藤原さん。

 「う、ううん、してないしてない、私、してないわぁ!!」

 ウフフ、藤原さんったら頭から湯気なんか出しちゃって…あれでは「私は股火鉢をやりました。」って言っているようなものですわ。慌ててしまうと、いつもの冷静さを欠いて奇行に走るのは相変わらずですわね。

 「ま、この際、しているしていないはどうでもいいとして、何故股火鉢は危険なのか教えてもらいたいですわ。」

 「そ、それは…」

 

 

 あれは私が小学校2年生の頃のお正月、パパとママは年始の挨拶で家を開けていて私とばあやの二人しかいなかった時だったわ。

 

 

 「うう、ばあやの部屋って寒いわ。」

 外は雪が降っていて寒い日なのに、ばあやの部屋にはストーブ等の暖房器具が置いていなかった。

 ばあやの部屋の畳は、座布団なしでは直に座るのもためらってしまう程ひんやりしている。

 「そんな事はありません。はづきお嬢様、これをお召しになって下さいませ。」

 そう言ってばあやに着せてもらった物は、中に綿が詰まった分厚い生地の着物。オレンジ色で、可愛い兎の顔の模様が入っている。

 「お嬢様、これはどてらでございます。」

 「どてら?ちょっと暖かくなってきたわ。ばあや、ありがとう。」

 私は、この可愛い模様が入ったどてらをすぐに気に入り、この日以来、成長して着る事が出来なくなるまで愛用した。

 「そしてこれ!温まるにはこれが一番でございます!」

 そう言ってばあやが用意したのは、大きなツボのような物で、中を見ると敷き詰めた灰の中に赤々と燃える炭が置いてある。

 「これは、火鉢という日本古来の暖房器具でございます。ただ暖を取るだけではなく、お湯を沸かしたり、お餅を焼いたり、お料理も出来てしまう優れものでございます。」

 「火鉢って凄く便利なのね。それに、暖かいわ。」

 ほんのりと暖かく、炭火の焼ける匂いが気持ちを優しくしてくれる。

 私はたちまち、火鉢の虜になった。

 あの事件が起こるまでは…

 「それではお嬢様、今日のおやつはこの火鉢でお餅を焼きましょう。用意をしてきますので、ここでお待ちになっていて下さい。」

 ばあやが部屋から出て行き、私は一人になった。

 始めのうちは、手をかざして普通に暖まっていたけど、床までは暖かさが伝わらず足元が冷えていて感覚がなくなってきている。

 あたりを見回し、お行儀が悪いけど火鉢に足を向けて暖めた。

 「あったかーい。やっと足が動くようになったわ。」

 かじかんで固まっていた足の指が、火鉢からの暖かさによってほぐれて、自由に動くようになった。

 そこまでで止めておけばよかったのに、今度はふとももから腰にかけて温まりたくなってしまった。

 魔が差すというのはこういう事なのかしら。こんな所をばあやに見つかったらどうしよう…と思うよりも、私の身体で冷えている部分を炭火で暖めてみたい、身も心も全て暖まりたい。そういう思いの方が強くて、私は立ち上がり火鉢に近づいた。

 火鉢の熱気が体中に伝わり、足元から腰まで、少しずつ暖かくなってくる。

 今度は火鉢に背を向けて体の裏側を暖めた。

 跨いでみたら、どうだろう?そうすれば、体の表と裏、同時に温まると思う。でも、お行儀悪いわ。しかし、跨いで温まったら気持ち良さそう。いや、それは我慢しなければ…

 やっぱり、火鉢を跨いでみたい!そうすれば、もっと暖かくなると思う。いいえ、そうに違いないわ!

 再び火鉢と対峙する。ほんのりとした暖かさ、静かに燃えている炭火の赤い光が「ここにおいで。はづきちゃん、暖かいわよ。」って、私を優しく手招きしているみたい。

 「はい、今行きます。」

 私は、一歩前に進み、火鉢を見下ろした。

 「さあ、おいで。」

 「はい…」

 それがとてつもなく恐ろしい罠だとも気付かず、右足を上げて火鉢を跨ぐ。小学校2年生の小さな私では、跨ぐ事がやっとできる大きさだった為、不安定でバランスを崩して転びそうだ。

 「ばあや、まだ来ないわよね。」

 ついに私は禁断の行為…股火鉢をやってしまった。

 思ったとおり、私の身体を優しく包み込むように暖めてくれる。

 まるで、温泉に入っているみたい…気持ちいい…

 このまま座る事が出来ないのは残念だけど、火鉢の、一番素敵な使い方ね。

 「お嬢様…!」

 「あっ!!ばあや!!」

 火鉢で温泉気分を楽しんでいたら、周りの事まで気が回らなくなり、気が付いたら私の背後に驚きの表情のまま凍りついたばあやが立っていた。

 「はづきお嬢様!なんと言う事を!!」

 火鉢を跨いでガニ股で立っている私の事を見てショックを受けたみたいで、ばあやは手に持っていたお餅とお醤油を乗せたお盆をひっくり返してしまった。

 「あ、あああ、あのね、ばあや、こうすると温泉みたいで素敵な気分になって、ポッカポカであの、その、えーっと…」

 「いけません!早くそこから離れてください!!火鉢の中には…!!」

 パンッ!

 何かが弾ける音がして、畳の上にポトリと落ちる音がした。

 「栗…?」

 畳の上には焼けた栗が落ちていた。

 「お嬢様ぁ!!いけません!!」

 帰宅した時の私を出迎えるいつもの迫力を遥かに凌ぐ怖い顔のばあやが、私に向かって突進してくる!

 「ば、ばあや!ウワッ!!」

 私はばあやの迫力に圧倒されてバランスを崩してしまい、よろめいてしまった。

 パンッ!パンッ!

 さっきと同じ音。一つは背後から、もう一つは私の目の前を凄い勢いで飛んでいった。

 「キャァァァァ!!」

 「お嬢様ぁぁぁぁ!!」

 私は飛び出した栗に驚いて背中の方向に倒れ、そんな私にばあやは飛びかかり、激突してしまった。

 火鉢は倒れ、中に入れてあった灰は部屋中にブワッと広がり、更に隠れていた栗がパンパンパンッ!!と3発勢いよく飛び出した。

 ゴチンッ!!飛び出した栗の1発が私の額に直撃した。

 「いったーい!」

 眼鏡に当たらなかったから良かったものの、もし眼鏡に当たっていたら…考えただけでもゾッとするわ。

 「お嬢様!大丈夫でございますか!?アウッ!アウッ!」

 ばあやも飛んできた栗に当たったみたい。しかも残りの2発が命中…

 「大変!火事になっちゃうわーっ!!ゴホッゴホッ!」

 「ゲホッ、ゲホッ!!炭には触らないでくださいませ!!ばあやが片付けます!!」

 「ばあや!!そこ!!燃えてるわーっ!!ゴホッゴホッ!」

 舞い上がった灰で何も見えなくなり、息苦しくなって咳き込み、何が何だか訳がわからない状態になってしまった。

 「今ならまだ!これで消す事が出来ます!お嬢様!!ここを親の仇だと思って叩いて叩いて叩きまくって下さいませーっ!!」

 「ば、ばあや、パパとママは、まだ死んでいないわ…」

 「つべこべ言わず!ここをブッ叩く!!」

 「は、はい!!」

 私とばあやは無我夢中で燃えている所を必死になって座布団で叩き、どうにか火事になるのを防ぐ事が出来た。

 「うわぁぁぁん!!ばあや!!」

 火事の危機が去ってほっとした瞬間、私は無性に怖くなってばあやにしがみつき大声で泣き出した。

 「はづきお嬢様…無事で何よりです。」

 ばあやはそんな私を、優しく抱きしめてくれた。

 

 

 それ以来、私は火鉢に恐怖を覚え、近づく事はおろか見るのも怖くなり、冬にはばあやの部屋に近づかないようになってしまった。

 

 

 「だから!こんな悲惨な体験を味わう事が無いように、校則として残しておくべきなの!!」

 「ふ、藤原さんの話を聞く限り、股火鉢は危ない事だとわかりましたわ。これは、校則として残しておいても良いかもしれないですわね。」

 股火鉢、恐るべし!ですわ。

 「股火鉢をすれば飛んできた栗に当たって大変な事になるかもしれないし、火事になる危険性もある。灰が舞えば掃除も大変だし、炭火が床を焦がしてしまう。藤原さんの体験談も凄かったけど、確かに、校則にするだけの事はあるわね。」

 伊集院さんが藤原さんの話を聞いて分析した結果を発表していますけど、聞けば聞くほどアホらしい…基、恐ろしい暖房器具ですわね。

 「それじゃ、次なんですけど「耕運機を運転してはいけない」これがどうして校則になるのかしら?」

 

 

【耕運機】
耕運機とは田畑を耕す機械。
ロータリー式、スクリュー式など。

 

 

 「農業用の機械で危ないから…かしら?」

 藤原さんの意見、正しいようにも思えますけど、危険な事でも知識を身につけて安全に結びつける行動を起こすのが、私達カレン女学院の生徒らしい生き方になると思いますわね。

 「使い方を間違えなければ問題ないけど…」

 伊集院さんは、ワタクシと同じ事を思っているみたいですけど「問題ないけど…」の後に、何が来るのかしら?

 「二人とも、小泉さんの事を覚えてる?」

 小泉さんって、小学4年生まで一緒なクラスだったあの子の事かしら?確か、朝一番早く登校して、花壇のお花のお世話をしていたわね。

 「それって、まりなちゃんの事?」

 「そうよ。小泉さん、今は美空中で園芸部に入っているんだけど、校内にある畑を耕運機で耕したりしているわ。」

 美空中って、畑があるのね。何を育てているのかしら?ワタクシは野菜よりも花…ゴージャスな薔薇が好きですわね。

 「小泉さんは、農業の事に深い興味を持ち始めて「将来は農業系の大学に進んで“まりな”って自分の名前をつけた新種の花を作りたい」って言っていたわ。」

 素敵な夢ですわ。ワタクシも将来、麗香の名を持つ素晴らしく美しい花を作っていただきたいですわね。

 「まりなちゃん、素敵な夢ね。」

 「美空中には「耕運機を運転してはいけない」なんて校則はないって事ですわね。藤原さんのような怖い体験談もない事だし…それじゃ、この校則は意味がないという事で撤回を求めましょう。」

 「あ、それは…やめた方が…」

 伊集院さんの表情が険しい。話しを聞いただけなら問題なさそうですけど…何か都合の悪い事があるのかしら?

 「どうしてですの?」

 「私も、この校則は無くなっても問題ないと思うけど…」

 藤原さんにも、伊集院さんの考える事がわからないみたいですわ。

 「でも、会長、藤原さん…」

 「大丈夫!最後の大仕事ですもの!ワタクシに、ドーンと任せなさい!それじゃ、次の「農薬を混ぜて遊んではいけない」ですけど、ワタクシ、こんな馬鹿げた事をする人なんてカレン女学院には一人もいないと信じていますわ。ですからこれも…」

 耕運機とか農薬とか、一体何故こんな校則ができたのか不思議でなりませんわ。

 ですから、このような変な校則は撤回ですわ!

 「会長!それは撤回したら駄目!」

 今度は伊集院さんが、机をバン!と叩き、勢いよく立ち上がった。

 「ど、どうしたの?伊集院さんらしくないですわ、大声で叫ぶなんて。」

 ワタクシも藤原さんも、目を丸くして伊集院さんを見ている。

 伊集院さんがこんな風に感情を露にするなんて、珍しい事ですわ。

 「また、小泉さんの話なんだけど…」

 どうやら、撤回に反対する理由を話してくれるみたいですわ。

 

 

【農薬】
農業に使う殺虫剤、殺菌剤、除草剤など。

 

 

 私は、小泉さんと仲が良く、別々の中学校に行った今でも付き合いがある。

 彼女は、休日でも畑や花壇の世話があるので毎日学校に行っていて、たまに私も付き合う事がある。

 そんなある日の事、私は小泉さんの知られざる内面を見てしまう事に…

 

 

 休日の朝、ここは美空中の畑。天気は快晴で、これから暑くなりそう。

 午前中は小泉さんの野良仕事を手伝って、昼からは彼女と一緒に街に出て、情報誌でチェックした美味しいお店で昼食。それから、ショッピング…そんな、ごくありふれた休日を過ごそうと思っていた。

 「どう?伊集院さん、似合うでしょ?」

 小泉さんは、モンペ姿で、軍手を付けて長靴を履き、戦時中の女学生のような格好をしている。

 「珍しい格好だけど、良く似合うわ。」

 私も、小泉さんを手伝うので、髪の毛を後ろに束ねてTシャツにジーンズというラフな格好になっている。

 「よーし!それじゃ、張り切っていくわよ!」

 小泉さんは耕耘機についている紐を思いっきり引っ張る。バタバタと音を立てるが耕運機は動かない。

 そんな耕運機を見て、小泉さんは溜息をついた。

 「デイジーちゃん、最近調子が悪いのよねぇ。」

 「デイジーちゃん?」

 「この子の名前よ。小さくて可愛いでしょ?」

 耕運機の事を、そう呼んでいるみたい。

 赤くて小さいけど、可愛い…かしら?

 「美空中 園芸部」と書いてあるガムテープが貼ってあり、赤く塗装されている部分は所々剥げていたり、艶がなくなってピンクや朱色に変色していたり、錆びている所があったりと何年も使い込まれたような状態で…

 「そ、そうね、可愛いわね。」

 小泉さんのセンスが良くわからず、私は苦笑いしてしまった。

 「伊集院さん、私がこの紐を両手で思いっきり引っ張るから、デイジーちゃんのハンドルを持って押さえてて。」

 「わかったわ。」

 私はデイジーちゃんのハンドルを握り締め、小泉さんはデイジーちゃんの本体を足で押さえつけて両手で紐を握った。

 「伊集院さん!行くわよ!」

 「ええ!いつでもいいわ!」

 小泉さんの気合の入った声に合わせて、私も同じ調子で答えた。

 「せーのっ!!」

 小泉さんが全身の力を入れて、紐がちぎれそうな勢いで引っ張る。

 彼女の力は思った以上に強くて私はよろけてしまい、デイジーちゃんはまた、バタバタと音を立ててから静かになってしまった。

 「伊集院さん、しっかり持って!次に失敗したら、デイジーちゃんはプラグがかぶって今日は動かなくなるわ。園芸部の予算は限られていてプラグの替えは無いし、これが最後のチャンスよ!」

 「う、うん…」

 プラグ?かぶる?一体、何の事かしら?

 とにかく、私の役目はデイジーちゃんのハンドルをしっかり持って小泉さんの力を受け止める事。

 デイジーちゃんが動くか動かないか、最後のチャンスだ。

 「伊集院さん!準備はいい!」

 「ええ!」

 「それじゃ、行くわよ!」

 さっきよりも気合が入った小泉さん。

 今度は失敗できない。ハンドルを握る手に、力がこもる。

 「せーのっ!!」

 再び、小泉さんは渾身の力を込めてデイジーちゃんの紐を思いっきり引っ張った。

 私も、手が痺れるくらい力いっぱいハンドルを握り締めて腰を低く落として、必死になって彼女の力を受け止めた。

 バタバタバタ…

 駄目、止まりそう!

 「動けっ!!」

 間髪入れず、小泉さんはもう一度紐を引っ張った。

 バタバタバタ…ブルルルル…デイジーちゃんはそのままブルブルと音を立てている。

 「伊集院さん、やったわ!デイジーちゃんが動いた!」

 「動いたわね…良かった。」

 動きだしたデイジーちゃんはプルプルと体を震わせて、まるで小さな生き物のようだ。

 私達が苦労して動かして、命が吹き込まれたそんな姿を見て、私にも、デイジーちゃんが可愛く見えるようになってきた。

 「ねぇ、小泉さん。」

 「何?」

 「デイジーちゃん、可愛いわね。」

 「うん!」

 小泉さんは満面の笑みでデイジーちゃんのハンドルを握り、畑を耕し始めた。

 変な歌を歌いながら…

 「♪朝の澄んだ空気が好き〜 校庭の花壇が好き〜 走るあの人を見てるのが〜 好き、好き、好き〜♪」

 小泉さんって、一人で作業しているときもあんな風に歌うのかしら?

 「♪花束を届けたい〜 今は蕾でも〜 花束を届けたい〜 大好きなあの花を〜♪」

 楽しそうだから、いいと思うけど…

 「♪あなたへの花言葉〜 あなたへの花言葉〜♪」

 小泉さんは歌い終わり、笑顔だった顔が、急に暗く沈みこんだ表情に変わってしまった。

 辺りは急に静かになり、デイジーちゃんのブルブルブルという規則正しく回るエンジンの音だけが聞こえる。

 「伊集院さん!」

 小泉さんは私の方に駆け寄り、泣き顔になって私に抱きついた。

 「ど、どうしたの?さっきまで、あんなに楽しそうだったのに。」

 「う、うう、グスン…」

 私の胸に顔をうずめて泣きじゃくる小泉さん。一体、何があったのかしら?

 「泣いてちゃわからないわ。何があったのか、私でよかったら話して。ね?」

 小泉さんの頭を撫でながら、優しく語りかけて落ち着かせる。彼女は暫く泣いていたけど、やがて落ち着きを取り戻し、不安な気持ちを露にした小さい声で私に話しかけた。

 「私…私…女の子としての魅力が、無いのかなぁ…」

 「え?」

 小泉さんの言いたい事がよくわからなかった。女の子としての魅力?

 「私、ずっと、好きなのに…」

 そう言って、私を抱きしめる力を強くする小泉さん。す、好きって、こ、困るわ!私も百合の花って綺麗で好きだけど…そ、そうじゃなくて、私達、女の子同士だし…いけないわ!

 「わ、私も、小泉さんの事…す、好きだけど…そういうのじゃないの…ごめんなさい。」

 「だから、他の人に気持ちが行ってしまうのかなぁ…」

 顔を上げて、涙で潤んだ彼女の瞳が私を見つめる。このまま見つめ合うと、映画とかだったら、キスしちゃう展開になって…

 「あ…あの、小泉さん。私達はお友達だけど、恋人同士にはなれないと思うの…」

 「うう、グスン…」

 すがる様な瞳で、小泉さんは私の事を見つめている。小泉さん…そんなに私の事が…

 私は、彼女の想いに答えるべきなのかしら。

 でも…

 「伊集院さん…」

 小泉さんが私を見つめている。目をそらそうと思うけど、彼女の瞳に吸い込まれて視線をそらす事ができない。

 「わ、わかったわ。小泉さんの気が済まないのなら、い、一回だけ…」

 私は覚悟を決めて目を閉じ、小泉さんが次の行動を起こすのを待った。

 ああ、私…初めてのキスの相手が小泉さんになるのね。

 ドキドキ…これから小泉さんにされる事を想像すると、体が熱く火照り、胸が高鳴ってくる。

 「たかおの奴、浮気しているみたいなの…」

 「え?」

 あ!私ったら、物凄い勘違いをしていたみたい。恥ずかしさのあまり、体が更に熱くなり顔が赤くなって、この場から消えてしまいたい気持ちになってしまった。

 恥ずかしい…どうしてこんな、いやらしい事を考えてしまったのだろう。私の学校が、女子校だからなのかな?

 「あいつ、許せないわ!」

 たかおって、木村君の名前よね!?そんな風に呼んでいるの!?それに、浮気だなんて…

 「私、どうしたらいいんだろう…」

 私も、どうしたらいいんだろう!?小泉さん、いきなり恋の悩みだなんて…

 そんな経験のない私は、一体彼女にどんなアドバイスをしたらいいのだろうか。

 「小泉さん、木村君とよく話し合った?確か、木村君って、サッカー部よね。今日もグラウンドで練習しているみたいだし、ほら、ここから見えるわ。私も一緒にいてあげるから、木村君と話し合った方がいいと思うわ。」

 私が考える限りの対処法を小泉さんに伝えたけど、彼女は暗い表情のままだ。

 「でも…私…話すのが、怖くって…」

 そうよね…よく考えてみたら「本当に浮気しているの?」なんて、直接聞く事なんて出来ないわね。私も、小泉さんと同じ立場なら、暗く沈み込んでしまうかもしれない。

 だったら、どうしたらいいんだろう?

 「こめんね、伊集院さん。聞いてくれてありがとう。」

 「私の方こそ、ごめんなさい。小泉さんの役に立つ事ができなくて。」

 何か、彼女の為にしてあげたい…そう思いながら彼女の頭を撫でていると、グラウンドの方からサッカーボールが飛んできた。

 「わりぃわりぃ!畑に入ったか?」

 ユニフォーム姿の人が、こちらに走ってきてボールを取りにきた。

 「あれ?伊集院じゃないか。久しぶり!」

 木村君だった。背が高くなり、日焼けして精悍な顔つきになっている。

 「久しぶりね、元気にしてた?」

 「おう!この通りだぜ!伊集院も、相変わらず可愛いじゃん。」

 何だか軽いノリの木村君は、数回リフティングをしてからボールを頭の上に乗せてバランスをとり、白い歯を光らせてニッコリと笑った。

 「ところで伊集院、何でまりなと抱き合ってるの?」

 「え?ああ、そうだ、木村君…ちょうどよかったわ。」

 問題の彼がいる事だし、小泉さんの悩みは、やっぱり直接話し合って解決した方がいいと思う。

 「小泉さん、どうする?私が代わりに聞いてみてもいいわよ。」

 本人同士が話し合った方がいいんだけど、それが出来ない事を考えて、私から妥協案を彼女に持ちかけた。

 「い、伊集院さん、私…たかおと直接話してみるわ。ちょっと、ここで待っててね。」

 小泉さんは私から離れて、木村君に近づいた。

 「まりな、今日も精が出るな。帰りにいつもの所でお茶でもしていくか?」

 木村君、性格が変わったのかしら?昔は、あんな大っぴらに小泉さんと接していなかったんだけど…

 「たかお、そんな事はどうでもいいから、ちょっと来て。」

 小泉さん、怖い感じの声だ。何だか嫌な予感がする…てゆーか、一触即発?

 「おいおい、何でそんなに怖い顔してるんだ?まりなは笑顔が最高なんだからさ、ほら、笑って笑ってってててて!イテェェェェ!!」

 小泉さんは、木村君の耳を思いっきり引っ張ってデイジーちゃんが置いてある畑に向かって歩き出した。

 凄い引っ張り方!木村君の耳がちぎれそうだわ!

 「たかお!アンタ、いつからそんなに軽い男になったのよ!私、わかっているわよ!隠しているつもりでしょうけど、バレバレよ!!」

 「イテテテ!!イテェェェェ!!か、勘弁してくれよ!まりなぁぁぁぁ!」

 木村君の変わりようにもビックリしたけど、小泉さんの変わり方は更に凄かった。今の小泉さんは、さっきまで泣いていた内気な少女ではなく、怒りに取り憑かれた夜叉の如く恐ろしい存在に豹変している。私はその場に立ち竦み、ただ、事の成り行きを見守るしか術が無かった。

 小泉さんは、木村君の耳を摑んでいた手を離した。

 「っててて…おい、まりな!何するんだよ!」

 ドンッ!!小泉さんは彼のお尻を蹴飛ばして転ばせた。

 デイジーちゃんの前に、木村君は倒れる。彼の顔も体も、土にまみれてしまった。

 「うわっ!ペッペッ!何なんだよ!!」

 「まだシラを切るつもり?ふうん、いいわよ。だったら…」

 ブルブルブル…ブルン!小泉さんはデイジーちゃんのハンドルを握り、木村君を睨み付けた。

 「もういいわ!!たかおなんて…たかおなんて!!他の女に取られるのなら、ミンチにしてやるわぁぁぁぁ!!」

 泣き叫ぶような声を上げ、それに合わせるかのようにデイジーちゃんのエンジン音がブルン、ブルン!と大きく唸りだした。

 「よ、よせ!まりな!うわぁぁぁぁぁ!!」

 「浮気物は…往生しろぉぉぉぉ!!」

 パニック状態で起き上がれず、四つん這いの状態で必死になって逃げる木村君を、般若の面のような恐ろしい顔をした小泉さんがデイジーちゃんのエンジンを唸らせて追いかけている。

 「た、助けてくれぇぇぇぇ!!頼む!伊集院!!まりなを止めてくれぇぇぇぇ!!」

 凄い…小泉さんの怒りのパワーが上手く昇華されて、歌いながらやっているときよりも仕事がはかどっているわ…てゆーか、一石二鳥?

 あ!もう畑も十分耕されたし、小泉さんを止めなくちゃ。

 「小泉さーん!もういいわよー!十分耕されたからー!じゃなくて、木村君を許してあげてー!ちゃんと話し合った方がいいわよー!」

 大変!四つん這いで逃げている木村君が、土が軟らかい部分に手を突っ込んでつんのめって大の字になって動けなくなってしまったわ!!

 「死ねやーっ!!」

 怒り狂った小泉さんとデイジーちゃんが、土煙を上げて木村君に迫っているわ!!

 「うわぁぁぁぁ!!」

 駄目!!木村君が、本当にミンチになってしまうわ!!

 ブルンブルン!!ブルルル…プスン…

 「あ、あ…た、助かった…」

 デイジーちゃんは木村君の半ズボンを引き裂いて、止まってしまった。木村君は恐怖のあまりガタガタと体を震わせ、涙と鼻水と土にまみれたクシャクシャな顔で放心状態になっている。

 「燃料が…もう、無いよぉ!!ウワァァァァン!!」

 小泉さんはそう叫び、力なく地面に膝を付き、動かなくなったデイジーちゃんにしがみついて泣き出した。

 悲惨な事にならなくて良かった…

 「小泉さん、木村君、落ち着いたら話し合いましょう。こんな事をしていたら、何の解決にもならないわ。」

 喧嘩していては、何の解決にもならないわ。落ち着いた状態で、キチンと話し合って、しかるべき解決策を取るべきよね。

 「そ、そうだな…もう、隠し事はなしだ。まりな、ゴメン!俺が悪かった。お前がそんなに思い詰めてるなんて思わなかったから…」

 小泉さんの前で土下座をして、両手を合わせる木村君。小学生の時の彼は、意地を張ってばかりいたのに、いつからこんな性格になったのだろう?

 「ヒック、ヒック…思わなかったから…何?」

 嗚咽が止まらない小泉さん。彼女の気持ちはまだ落ち着いていないみたいだけど…

 「だから、俺、正直に話すよ。2組の加納と二股かけていた。」

 「加納さん…二股…?」

 「ああ、あいつ昔から胸がでかくて今はもっとでかくなって、体操服姿なんてムチムチでパッツンパッツンでさ、歩いているだけで胸がプリンプリンって揺れるんだぜ。それで俺、たまらなくなってさ…やっぱ巨乳でナイスバディだよなって…それにあいつって積極的だし…あ!」

 デレデレした顔を上げて、楽しそうに話す木村君。再び、小泉さんは般若の面になってしまった。それを見た木村君の顔が真っ青になる。

 「ち、違うんだ!俺はまりな一筋になる!加納とは別れるよ!ごめんっ!!」

 慌てて木村君は、額を地面に擦り付けて加納さんとの関係を終わりにすると約束するけど…

 「ええ、どうせ、私は貧乳ですよ…」

 「お、おい、まりな?」

 土まみれになって怯えた顔を上げる木村君、再び、嵐の予感。残念だけど、木村君には同情の余地はないわね。

 「だから、胸が大きくなる薬を用意したの…」

 小泉さんは懐から怪しげなピンク色の液体が入った小瓶を取り出した。

 「おい、それ、何か怪しい色だぞ?だ、大丈夫か?」

 「心配しないで。これ、私が色んな農薬を混ぜて作ったの。」

 「農薬!?お、おい!馬鹿な事はやめろ!」

 「たかおがそんなに最低な奴だなんて!!私、たかおはもう少しマシな奴だと思っていたのに!!いいわよ!加納さんと付き合いなさいよ!!私なんて、私なんて!!死んでやる!!」

 小瓶の蓋を開けて、小泉さんはその中身を飲もうとしている!

 「やめろ!やめろよ!お前、死んでどうするんだ!?早まった事はするな!!」

 「そうよ!こんな人の為に死ぬなんて、どうかしてるわ!」

 「い、伊集院…お前、キツイな…」

 私と木村君は小泉さんに組み付き、彼女の手に持っているブレンド農薬を奪おうとするけど、必死の抵抗をする彼女からは中々奪う事が出来ない。

 「離して!私なんて、女の子としての魅力が全然ないもん!!こんな惨めな私が生きていたって、この先、いろんな人に出会って恋したところで、男なんて皆、エッチな体をした女の子が好きだから、浮気されて捨てられる!!死んだ方がマシよ!!」

 半狂乱の小泉さんが暴れる。私と木村君、二人がかりで小泉さんの動きを封じようとするけど、逆に私達が振り回されてしまう。

 「だからって、こんな所で死ぬ事ないだろ!まりな!それをよこせ!!」

 「いやっ!もう決めたの!死んでやる!!」

 小泉さんは物凄い力で私と木村君を振りほどいた。

 私と木村君は彼女に投げ飛ばされて畑の上に転がり、私も木村君と同様、全身土まみれになってしまった。

 「駄目だ!まりな!!」

 「やめてぇぇぇぇ!!」

 小泉さんは壜の中身を一気に飲んでしまった!

 「…ウッ!!」

 小泉さんの顔が急激に青くなり、口を両手で押さえて、目を白黒させてもがいている。

 「駄目よ!飲み込んじゃ駄目!!小泉さん!吐き出して!!」

 小泉さんの背中をバシバシ叩き、飲んだ物を吐き出させる。こんな下らない事で死んだら駄目よ!!

 「お、おい!まりな!飲み込むな!!吐き出せ!!」

 木村君がそう叫んだ瞬間、小泉さんは木村君の顔に向かって悪役レスラーが毒霧を吐くように飲んだ物を吐き出した!

 「ギャァァァァァァッ!!!!」

 木村君が断末魔のような叫び声を上げて両手で顔を覆い、地面をのた打ち回った。

 凄い威力!一体、どんな農薬を混ぜたの!?てゆーか、一撃必殺?

 ドサッ!!小泉さんは気を失って、うつ伏せの状態で倒れてしまった。

 まるで、死んでるみたい…

 死んでる!?

 「イヤァァァァ!!小泉さーんっ!!」

 

 

 「こ、小泉さんって本当に死んだの!?」

 伊集院さんから聞いた想像を絶する話…あの大人しい彼女が、こんな事をするなんて信じられませんわ。

 「そんな!まりなちゃん!!」

 「大丈夫よ。あの後救急車を呼んで大変な事になったけど、二人とも、奇跡的に無事よ。」

 「人騒がせな人達ですわね。耕運機で轢き殺そうとしたり、農薬を飲んで自殺未遂…他の人が真似するとは思えませんわ。」

 今の話は極端な例であり、このような事を他の人がするとは考えられませんわ。

 「でも!私、思うの!恋する乙女が裏切られたとき、絶望と深い悲しみに支配され、小泉さんみたいにとんでもない行動を起こす事があると思うの。だから、この校則は残しておいたほうがいいわ。」

 「藤原さん、あなたはどう思う?」

 ワタクシは、伊集院さんの話を聞いてもこの校則は馬鹿げた校則だと思いますわ。でも、失恋の悲しみがそういう事をさせるっていうのは見逃す事はできませんわね。

 「私は…わからない。」

 「あら?そんな事はないでしょ?」

 だって、藤原さんは…

 「矢田君と付き合っているじゃありませんか。誤魔化す事はできませんわよ。」

 「そ、そ、そ、それは…私も、この校則、あった方がいいかも…」

 顔を真っ赤にする藤原さん。

 ワタクシ、適当に言ってみただけなのに、まだ付き合っていたとは…藤原さんと矢田君、このまま結婚までいっちゃうのかしら…?

 「それじゃ、恋する乙女がキレた時に実力行使を行う手段をなくす為、「耕耘機を運転してはいけない」と「農薬を混ぜて遊んではいけない」この二つの校則は残す事にしましょう。それよりも、その後の小泉さんと木村君って、やっぱり別れましたの?」

 ワタクシ、そっちの方に興味津々ですわ。

 「ええ、別れたわ。」

 小学校時代から続いていたのに、残念ですわね。

 「でも…」

 でも?何かあるんですの?

 「その事件の一ヶ月後に、また付き合い始めたの。木村君の浮気癖は治らず、喧嘩して別れて熱りが冷めたらまた付き合っている…ずっとこんな状態を繰り返しているみたい。」

 「まりなちゃん、喧嘩するたびに、生死の間を彷徨っているの!?」

 「そ、そんな事は、ないと思うけど…昨日も電話で、恋の悩み相談を受けたから生きているみたいだし。」

 「呆れた。駄目だと思って別れているのに、また付き合うなんて。」

 「そんな事ないわ!まりなちゃん、一途な想いを貫こうとしているのよ。木村君だって、浮気しても結局まりなちゃんの方へ戻ってくるし、私、あの二人はきっと上手くいくと信じているわ!」

 藤原さんも、パニック状態の時には何をしでかすのかわからないから、浮気されてキレたら小泉さんの様になるかもしれませんわね。

 「藤原さん、信じるのはいいけどあの二人が上手くいく前に、命が幾つあっても足りないんじゃないかしら?」

 「…!!」

 藤原さんが血相を変えて、ワタクシを睨みつけていますわ。恋する乙女は強いって事かしら。

 「わ、わかったわ…それじゃ、次、行ってみましょうか。最後に疑問に思っていること、それは…」

 「即…」

 伊集院さんもずっと気になっていたみたいで、その事を言おうとしている。

 「そうよ!これだけは納得できませんわ!!「即席ラーメン禁止」よ!!」

 

 

【即席】
(1) その場ですぐに作れる事。「−ラーメン」
(2) 一時の間に合わせ。

 

 

  「オーホッホッホッホ!!ワタクシ、これまでの人生経験で即席ラーメンという物は食べた事がありませんの。ですから、一度は庶民の立場に立ってみたいと思ったんですけど、生徒会長であるこのワタクシが校則を破るなんて事はできませんわ。」

「え?そんな人って、いたの!?」

藤原さんだってお金持ちの家なのに…何であんなに驚くのかしら?

「でも、あれって、家の中で食べるとあまり美味しくないのよね…自分で作った時は、特に美味しくないわ。一番美味しかったのはね、ウフフ、小学校3年生の時にお外でね…パパイヤ兄弟っていう楽しい人達と一緒に食べたときかな。」

藤原さん、即席ラーメンにはちょっとした拘りがあるみたいですわね。それにしても、パパイヤ兄弟って何かしら?

「私は、日曜日のお昼とかに食べたいって思うときがあるけど…校則で禁止されているなんて知らなかったわ。」

伊集院さんは、時々食べているみたいですわね。

「どうして、こんな校則が出来たのか、本日、一度だけの校則違反をして、ワタクシ、それを検証しようと思いまして…」

「ラーメンライスよ!!」

突然、ワタクシの話を遮って伊集院さんが叫びだした。ラ、ラーメンライス?

「一体何ですの?ラーメンライスって。」

食べ物の、名前ですわよね?ラーメンライス…即席ラーメンと同じ、禁断の味なのかしら?

「それは、若さゆえの過ち…」

伊集院さんは、恐怖におののく表情で語りだした。まるで、今から怪談話を始めそうな雰囲気だ。

「い、伊集院…さん…わた、わた、わたし…」

どうしたのかしら?藤原さん、伊集院さんの事を見て体を震わせ冷や汗を垂らしてヤケに怖がっている。

「空腹感が限界を超えた時、若者は、食のセオリーを無視してあらゆる物を貪り食い散らかす…特に運動部の人!!」

「イ、イヤァァァァァ!!」

顔を真っ青にして騒ぎ出す藤原さん。たまに起こる現象で、今ではワタクシも見慣れてしまいましたわ。

「藤原さん、落ち着いて。まだ、怖いところを話していませんわ。」

「う、うん…」

彼女の、怖いと感じる気持ちの限界を超えない事を祈りますわ。限界を超えたら、キレた時の小泉さんと同じで手に負えませんわ。

「だから!炭水化物をおかずにして炭水化物を食べるのよ!」

日が沈みかけて、生徒会室は薄暗くなってきている。伊集院さんはノリノリで、懐中電灯を顎から照らして更に怖い雰囲気を演出している。その懐中電灯はワタクシが最近購入した次世代LEDの高性能な代物で、色白の伊集院さんの顔を真っ白く光らせている。

薄暗い空間の中で真っ白く光る彼女の姿を見ていると、わ、私まで、何だか背筋にゾクッと来て、怖くなってきましたわ。それに、彼女の台詞も怖いですわ!炭水化物を食べて、更に同じ物をおかずにするなんて、そんな事を繰り返したらブタみたいにブクブク太ってしまいますわ!!

「キャァァァァッ!!」

「藤原さん!!頑張って耐えるのよ!!」

藤原さんの席に駆け寄り、暴れようとする彼女を席に座らせ、両手を握り締めて何とかプッツンしないようにと祈りを込める。

「ううう…私、もう、駄目…」

「伊集院さん!ストップ!ストップですわ!!」

しかし、彼女の怪談話はまだ続いた。

「同じ栄養素だとは知らず、ラーメンをおかずにしてご飯を頂いた後…」

暗くなった生徒会室に、伊集院さんの顔が幽霊のようにボーっと白く浮かび上がる。

「い、頂いた…後…」

ワタクシと藤原さんは、手を握り合ってお互いの頬をくっつけて声を震わせながら、同じ台詞をハモらせた。

そ、それから、どうなるんですの!?

伊集院さんは目を閉じ、暫く間を置いた。

薄暗い生徒会室、不気味な静けさ、息をするのも憚られる様な緊張感。藤原さんの不安定で速いリズムの鼓動が、ワタクシの体に伝わってくる。

「ラーメンの汁がぁぁぁぁぁぁ!残るぅぅぅぅぅぅ!!」

伊集院さんは、目をカッ!!と見開き、机をドンッ!!と力一杯叩き、一気にまくし立てた!!

「キャァァァァッ!!」

「キャァァァァッ!!マジョリカ!マジョリカ!マジョリカ!マジョリカ!マジョリカ!!」

怖くない、怖くないはずなのに!伊集院さんの演出と、その場の雰囲気に圧倒されて非常に怖いですわぁぁぁぁ!!

藤原さんが奇妙な呪文を唱えながら暴れ始めましたわ!!でも、まだこの状態なら鎮めることも出来るはず…最終段階にさえならなければ!

「藤原さん!もう終わりましたわ!ラーメンライスは食べ終わったのですから!!」

ボカッ!!ドスッ!!何発かパンチとキックを貰いながらも、暴れる藤原さんに組み付き、何とか正気を取り戻してもらおうと必死になっているのに伊集院さんは顔を照らした体勢のまま動こうともしない。

「ちょっと伊集院さん!!私一人では手に負えませんわ!!あなたも手伝って!!」

「ウフフフ…」

伊集院さんは不気味な笑みを浮かべて私達を見ている。いつもの彼女らしくない冷たい表情、凍てついてしまいそうな冷やかな視線、雪のように白く透き通った肌。まるで、見た事はないけど、雪女みたいですわ…

「う、うう…」

藤原さんの動きが止まった。でも、彼女は正気を取り戻したのではなく、雪女の視線に捕らえられて金縛りのように体を硬直させていますわ。

ワタクシも藤原さん同様、身動きが取れませんわ。

怖い、本当に怖い!悲鳴を上げることも、逃げ出すことも、怖い雪女を視界から締め出す為に瞼を閉じることすらできませんわ!!

ただ、ワタクシにできることは、見る事と聞く事…

「まだ、終わりじゃないわ…」

私達の恐怖を煽り立てるように、伊集院さんは低い声でゆっくりと喋った。

「会長は、上品ね。」

ワタクシは何も答える事ができなかった。伊集院さんは顔を照らしながらワタクシに迫り、不気味な薄笑いを浮かべてワタクシの頬を軽く撫でる。

冷たい…!氷に触れたように冷たいですわ!!

い、伊集院さんの足は…ま、まだ、ありますわよね!?

眩しくて、伊集院さんの足がよく見えませんけど…

「汁が残ったら、まだやる事があるのよ。ねぇ?藤原さん。」

「ヒ…ヒィィィ!」

白目を剥いて、正気を失った藤原さんは奇妙な呻き声を上げている。

「化学調味料と食品添加物で作ったスープは…捨てるには勿体無い。」

普通は、捨てますわぁぁぁぁ!!

「もう一度…」

それ以上は、聞きたくありませんわぁぁぁぁ!!もう、もう許してぇぇぇぇ!!

「その中に…」

イヤ!イヤ!イヤ!イヤ!イヤ!イヤ!イヤァァァァァァァッ!!

「ウフフフ…上品な会長さん、どうすると思う?」

首筋に、ゾクリと冷たい感触!!

そ、そ、そんなこと聞かれてもワタクシにはわかりませんし、わかりたくもありませんわぁぁぁぁ!!

「藤原さんは?わかるかしら?」

「オケケケケケケ…」

とうとう藤原さんが、壊れましたわ…最終段階ですわ…

「化学調味料と食品添加物を溶かした液体の中に…炭水化物を浸し…」

伊集院さん、ワザと気持ち悪く言っていますわ…ワタクシ、恐怖を限界まで感じつつも、胸焼けがしてきて…頭がクラクラして、とてつもなく気分が悪いですわ…

「雑炊を作りぃぃぃぃ、食べるのよぉぉぉぉぉぉ!!!!」

「キャァァァァァァッ!!!!!●#$Ю£@¥▼¢☆!!!!!!」

「マ…ジョ…リ…カァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!」

 

 

気が付いたら、夜になっていた。

月明かりに照らされた生徒会室は、大地震の後のようにメチャメチャになっていた。

過去の偉大な先輩達から引き継いできた立派な机も、椅子も、執務に使っていたノートパソコンも、書類を入れてある棚も、皆破壊されていますわ・・・

多分、藤原さんが暴走して…藤原さん?伊集院さん?二人は無事なんですの?

「藤原さん!伊集院さん!」

瓦礫を掻き分けて二人を探す。

「ああ!よかった!伊集院さん!!」

瓦礫の下敷きになっていた伊集院さんを発見した。早速、彼女に怪我がないか調べる。

「ん…うう…か、会長…」

伊集院さん、雪女の面影が消え失せて、いつもの彼女に戻っていますわ。足も、ちゃんと生えていますわね。

「ワタクシが見た所、怪我はありませんわね。痛い所とかある?」

「大丈夫よ。会長…ごめんなさい、私、二人があんなに怖がるとは思っていなかったから…」

「過ぎてしまったことは仕方ありませんわ。それよりも、藤原さんを探さなくては。」

ボコッ!!瓦礫が崩れる音がしてその方向を見ると、ゾンビ映画みたいに手だけが瓦礫の山から出ている。

「あれ、藤原さんよ!」

伊集院さんが急いで周辺の瓦礫を撤去する。ワタクシはゾンビ映画みたいな光景に躊躇してしまいましたけど、すぐに伊集院さんを手伝い、藤原さんを瓦礫の中から引っ張り上げた。

「藤原さん、藤原さん!」

「だ、大丈夫、ですの!?」

藤原さんは、重症だった。眼鏡が割れて、額から血が出ている。

「大変ですわ!!応急処置!救急箱はどこですの!?」

「会長!落ち着いて!今、明かりをつけるから。」

伊集院さんがスイッチを入れて、生徒会室は蛍光灯の光に照らされてパッと明るくなった。

急に明るくなり、目を細めながら辺りを見回すと…

「イヤァァァァァァァ!!!!」

ワタクシの机があった位置に、即席ラーメンが散乱していますわ!!

「怖い!怖い!怖いですわぁぁぁぁ!!もう、あんな物、見たくもなければ食べたくもありませんわぁぁぁぁ!!」

 

 

実は、あの時散乱していた即席ラーメンは、何故「即席ラーメン禁止」なのかワタクシが検証しようと思い密かに手に入れていた物で、実際に食べてみて、何がいけないのかを調べる予定でしたけど、伊集院さんの怪談話があまりにも怖くて、食べる事もなく「即席ラーメン禁止」の校則はあった方がいいという事になりました。

それにしても、あの怪談話のように、伊集院さんはラーメンライスを食べた事があるのでしょうか?ラーメンライスを食べた後に雑炊を作って食べたのでしょうか?聞きたいけど、聞くのが怖い。本当に食べていたとしたら、あの怪談話よりも怖い事になりそうだから…

藤原さんは、気が付いたときには「ポルターガイストの仕業よーっ!!」なんて騒いでいましたけど、額の怪我は見た目ほど深くはなく、彼女はしばらく頭に包帯を巻いて登校していましたけど直ぐに治り、元気になりました。

そして、私達の残り6日間の生徒会は、次の生徒会を取り仕切る2年生にこの生徒会室を引き継ぐ為、掃除や修理、破壊された備品の補充などに明け暮れる事となり、あんな災害の後ですから復旧は中々進まず一悶着ありましたけど、それはまた、いつかお話ししようと思います。

おしまい